時間がありすぎ日記

ガムシャラに働いた後、関西で主婦生活に突入。時間がありすぎて途方に暮れているので日々思ったあれこれを。

電通過労死で思い出した過去の私。

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過労死認定された電通新卒採用の女性のニュース。100時間を超える労働に、理不尽な説教など、彼女のツイートに遺された言葉はあまりにも痛々しく、胸が痛い。

 

そして、私は自分が新人だった頃のことを思い出さずにはいられなかった。

 

広告会社ではないが、私も似たような業界に入社した。私が配属された部署は、若手ばかりが集まっている特殊なセクションで、過剰に体育会系な体質や、長時間労働、激しい飲み会などで社内に悪名を轟かせていた。酒が全く飲めない上に、体育会系とは程遠い人生を歩んできた私がなぜ配属されたのか意味が分からなかったが、それは周囲にとっても同じだったようだ。

その部署にいる若手は、強豪ラグビー部出身をはじめとするバリバリの体育会系出身者が大多数で、文化系のモヤシッ子タイプは徹底的にイビられるような環境だった。男性ですらそうなのだから、女性など言わずもがな。配属されて挨拶をした瞬間に「女にいられると迷惑」と言われたり、「俺、東大出たヤツで頭が良い人間に1人も会ったことないんだよね」などと言われた。その部署では、女性はほとんど続かないというのが定説だった。それまで配属された女性のほとんどは、途中で体を壊してリタイアするか、人事に泣きついてイレギュラー異動していた。言い伝えられている過去の成功者は、たったの1人だけだった。もちろん、配属時点でそのセクションにいる女性社員は私のみ。

業務はハードだったが、電通の彼女ほど激務だったわけではない。上記被害者のツイートを読む限り、おそらく実際には100時間を優に超える超過勤務をしていたと思われるが、私の場合は最長でも24時までだった。それ以上の残業は禁じられていたからだ。当然、やることがなくても先輩が残っていたら帰ることはできない。ある種のチーム作業だったからというのもあるが、ダラダラと残っている先輩のために無駄に時間を過ごすのは苦痛だった。

ただ、噂通りに激しい飲み会は多かったので、そんな日は深夜3時まで拘束されることが当たり前だった。特に12月ともなると、飲みはほぼ毎日。毎日3時間睡眠できればいい方だった。それでも、土日は基本的に休んでいたのでマシだったのだが。

女性ならではの苦しみというのも、もちろんあった。女性社員の顔面偏差値がかなり高い環境の中にあって、これといって美人でもなかった私は、最初から「女子としては失格」という扱いだった。東大だし。「お前が配属になって本当に残念」「なんだよその変な服」「なんか今日いつにも増してブスだな」などの発言は日常茶飯事。わざとブリッ子セリフを言わされ、「オエー」とやられることもあった。しかし、無駄に言い寄られたりするよりはずっといい。聞き流していればいいのだから。そう思っていた。

むしろ、顔が可愛い若手社員の方が悲惨だった。"偉い人のお気に入り"になることで、夜な夜な接待の場に侍らさせられるからだ。その場でニコニコ笑って、たまに「すごいですね~」と言うだけの役目。本気で自分に気があると勘違いする男も頻繁に現れる。仕事で評価されても、「〇〇さんのお気に入りだから」「〇〇さんの愛人らしいよ」という噂で片付けられる。私は「美人でなくて良かった」と心底ホッとしていた。私がそういう場に招かれるのは、美女枠の子がドタキャンしたときの代打だけだったので、数時間だけ空気のように扱われるのを我慢していればよかった。

では、男ならば楽だったのかといえば、そうではない。男は飲まされ、食わされ、殴られ、蹴られ、罵倒された。女の場合は、殴られたり蹴られることはない。しかし、だからこそ取引先の評価が高かったりすると、「みんな女には甘いから」「女は楽でいいな」と陰口を叩かれる。どんなに頑張っても正当に評価されないくらいなら、男と同じように殴られた方がマシなんじゃないかと思うことすらあった。それでも、「女はやっぱりダメだな」と言われることだけは避けたかった。何かが麻痺していた。

「女であることに甘えるな」と言ってくる先輩もいれば、「女であることを利用しろ」と言ってくる先輩もいた。後者の説教は本当にキツかった。「女であることを利用しろ。根性見せろ」という圧力にだけはどうしても耐えることができず、ある瞬間に私は恐怖でいっぱになってしまった。そして、異変を感じ私を会議室に連れていった先輩の前で、泣いた。そのことを知った上司は激怒し、件の発言をした人間たちに猛烈に抗議した。その日以降、少しだけ生きやすくなった。

 

私の様子に気づいてくれた先輩や、私の代わりに怒り狂ってくれた上司がいなかったら……そう考えると恐ろしくなる。「女はダメだ」と思われたくないばかりに、女性としての尊厳を破壊されそうになっていることにも、気づかないところだった。電通で何があったのか本当のところは分からないが、問題の本質は長時間労働だけにあるのではない。それだけは分かる。そして、今の私は確信を持って言える。こんなのは間違っている。

 

『聲の形』を読んで。

今さらながら、漫画『聲の形』を読んだ。

  

 

『聲の形』第1巻では、過酷ないじめが描かれている。

 

耳が聞こえない少女が転校してきたことで、いつものペースを乱された小学生たちは、軽い気持ちで彼女に嫌がらせをする。いじめは段々とエスカレートし、補聴器をいくつも壊して170万円の損害が生じるという結果が生じる。先生と傍観者である生徒たちは、首謀者の男児にいじめの責任を押し付ける。そして、少女は転校していく。

 

いじめの首謀者だった過去から逃れられない主人公は、中学校になっても孤立し続ける。そして、死のうとしたときに少女と再会する。

 

なかなかにヘビーな作品だった。1巻で描かれるいじめは首謀者の視点で描かれている。その心理的変遷は説得力があり、実際にいじめを体験したものにとっては読み続けるのにエネルギーが必要なレベルだ。高校生となった首謀者の少年と、耳の聞こえない少女とその家族、そして周囲の友人たちとの葛藤も興味深い。

 

『聲の形』は、いじめる側の罪を許さない。いじめに至った心理を細かく描写しているが、それによって生じた「いじめ」の責任を本人たちに問い続ける。そして、いじめられる側で会った少女のことも無条件に肯定しない。【耳が聞こえない】ということとは違う次元で彼女の生きる姿勢をも問う。容赦のない漫画だ。

 

過去のいじめとは無関係な登場人物の絡ませ方もうまい。「俺は親友」と言って首謀者少年に寄り添う見栄っ張りの少年は、常にフラットな視点を持つ。物語の終盤で皆が映画製作を始めるシーン。主人公の少年は「西宮(耳の聞こえない少女)も仲間に入れよう」と提案する。その意見は受け入れられるのだが、主人公は皆が「可哀想だから」仲間に入れてあげたと思っている。しかし、親友である少年は主人公に言う。「将也(主人公)の大切な人だから仲間に入れたいと思った」と。ここで、読者である我々はハッとする。彼にとって、西宮は【ろう者】ではなく【将也の想い人】なのだということを。西宮が【ろう者】であるというフィルターを外せないのは、誰よりも西宮を救いたがっている将也なのだ。

 

また、映画製作のくだりから参戦する元いじめられっ子である真柴も、西宮をめぐるいじめ事件とは無関係に存在する。彼は【いじめ被害者】という立場から物事を判断しているが、【いじめる側】の人物と触れ合うことで、その立場の曖昧さを知り、人間は変わることができるという可能性に希望を見出す。彼は西宮を【いじめられた過去を持つ人物】として認識しているが、彼女の障がいについては問題にしていない。

 

そして、西宮いじめに加担していた人物の中にも、障がい者】というフィルターを通さずに向き合おうとする人物が出てくる。植野という少女だ。将也に片想いしつづける植野は、かつて自分が西宮と将也に対して行った残酷な仕打ちについて葛藤し続けており、最終的に西宮に対して気持ちをぶつける。植野の言動は攻撃性に満ちているが、彼女は西宮を【障がい者】である前に【1人の人間】【恋敵】と見なしており、それに対して西宮は初めて自らの本心を明かすことになる。

 

これらの人物を配置することで、障がい者やいじめに対する視点が多重的に描かれている。特に、将也や西宮の家族といった【西宮を愛する者たち】がいかに彼女の障がいに囚われてしまっており、それがいかに西宮を苦しめているのかを浮かび上がらせている。将也や西宮の母親についても丁寧に描写されていて、子供だけの世界に終始させていないのも素晴らしい。

 

私が『聲の形』を読んでいて、1番ぞっとしたのはやはり川井だ。彼女は、いじめ事件についての記憶を完全に脳内で作り変えてしまっていて、自分は全く関係がなかったと思い込んでいる。それどころか、自分は障がい者である西宮に対して親切に接していたと信じている。結局彼女は、その上っ面の【良い子】然とした部分がクラスメートに気持ち悪がられている、ということを知り、思いのままに行動するようになる。怖ろしいのは、それでも彼女がいじめの当事者であったということには気づかないまま(であろう)ということだ。

 

障がい者の話題になると、たまに感じる違和感として、「もちろん誰でも差別意識はあるけれど、体裁が悪いから理解があるふりをしているんでしょう?」という前提で話す人が少なからずいるという点がある。本人は善意だとすら感じているその差別意識は、何を言われても覆ることはない。『本当はみんな可哀想だと思っている』と思い込んでいるからだ。私がなにを言おうと、彼らにとってそれは【キレイごと】でしかない。

 

『聲の形』は、いじめ問題だけではなく、そんな障がい者への意識をも問題にしている。【守る】【盾になる】という姿勢だけでは解決にならない。相手を【異質なもの】と認識することそれ自体が間違っているのだ。

 

本当は連ドラ化するといいと思うが、いじめ描写などハードルが高すぎるか……。

 

今期のドラマランキング(自分の中で)

今期はそれなりにドラマを定期視聴していた。観ていたのは下記の作品。

頭についている番号は、出だし1~2話時点での自分の中での評価。

 

①『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』(CX)

④『お義父さんと呼ばせて』(CX)

③『ナオミとカナコ』(CX)

②『わたしを離さないで』(TBS)

⑤『家族ノカタチ』(TBS)

 

そして、下記が最終回を終えての自分の中での評価だ。

 

①『家族ノカタチ』

②『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』

③『ナオミとカナコ』

④『わたしを離さないで』

④『お義父さんと呼ばせて』

 

大逆転。惰性で見ているに過ぎなかった『家族ノカタチ』が逆転勝利を飾った。以下、所見。

 

1位『家族ノカタチ』

最初は主人公や上野樹里演じるハナコの性格が鼻についたし、登場人物も設定も無理がある感じがして全く乗り切れなかったのだが、途中から一気に引きこまれた。それぞれの登場人物の事情が明らかになるにつれて、行動にも説得力が出てきたし、ひとりひとりが成長していく様子が丁寧に描かれていて良かった。特に、水原希子演じるハナコの部下役の成長っぷりなどは感動的ですらあった。主人公がイヤなヤツ然としているのに周りに人を呼びよせてしまうことも、ハナコと主人公が惹かれあっていくことも自然と納得できてしまう不思議。『いつ恋』ほどわざとらしくない塩梅でハッとするセリフが散りばめられているのも良かった。結局、このドラマは自分の死期を悟った西田敏行が『息子の住まい』という場所にやってくることから始まり、その場所で様々な人間の様々なドラマが生まれ、最後は『西田敏行の死』と『千葉雄大夫妻の子供/主人公たちのプロポーズという生』が交錯するという、典型的な『グランドホテル』形式の構造をとっていた。清々しい感動をありがとう。

 

2位『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』

素晴らしいドラマだったし、名作だと思う。セリフも映像も考え抜かれていて、毎回泣いてしまった。しかし!『家族ノカタチ』に比べて"やりすぎ感"が否めなくて……結果、2位。あと、晴太が小夏を好いていることに全く共感できず(というか、この2人が要らなかった気がする)。最終回で理由を説明していたが、そのセリフに見合った演技ができていなかったと思う。2人とも。他のキャストは秀逸で、特に西島隆弘はかなり良かった。あそこが嘘くさくなるとイヤな気持ちになりそうだが、根っこは良い人という部分をうまく保ちながら演じていて感心。あとはまあ高橋一生だなあ。圧倒的に上手くて、決して多い出番ではないにも関わらず作品全体に"リアル"をドバドバと注入していた。個人的に1番良かったシーンは、小日向文世に音を紹介するシーン。音の生い立ちを端的に聞き出していくのだが、言外に【"水商売はしなかったのか"という意図を含ませつつ、最終的には認める】という流れをセリフではなく迫力で見事に表現していた。

 

3位『ナオミとカナコ』

正直、ながら見だったので途中までしっかり見ていなかった。しかし、ラストに向けた数回は相当面白かった。2人を追い詰めていく吉田羊をクローズアップすることで、ナオミとカナコに対して完全に肩入れはできないギリギリの匙加減。そして高畑淳子。うさんくさい外人訛りでもリアリティを失わない高畑淳子。やはり、脚本の次に大事なのは演技力なんだなと思い知らされた。

 

4位『わたしを離さないで』

チャレンジングな企画だったし、完成度も高かった。しかし!私は原作を愛しすぎているが故に納得できなかった。特に終盤。"臓器移植のためのクローン人間"という存在自体に、直球で倫理的疑問を投げかけた姿勢がダメだった。原作では、彼らは自分たちの存在を最初から認識していて、ある意味で諦めている。"猶予"という噂を知ることで、ほんの少しの希望を手に入れようとはするのだが、それは自分たちの存在意義自体を問うものではなかった。だからこそ、この作品の設定が持つ倫理的問題がクローズアップされるわけで、この架空の世界では"当たり前になってしまっている"ということの恐ろしさを読者は思い知るのだ。ドラマのように、主人公たちが自身の権利を主張するようになるというのは、まったく別のベクトルだと私には思えてならなかった。役者陣は総じて素晴らしかっただけに残念。

 

5位『お義父さんと呼ばせて』

つまらなかったわけではないのだが、なんというか……ふざけすぎ……かな。渡部篤郎はハジけた演技で面白かったのだが、家族のことにかまけすぎで全く仕事をしない。「いつも仕事優先で家庭のことは母さんに任せっきりだった」と言われているのに、その要素ゼロ。そしてなによりも、遠藤憲一松岡茉優の間に恋愛の気配を全く感じないという説得力のなさ。色っぽさ皆無。こういったコメディ作品では、展開やエピソードが現実離れしていても別に構わないとは思うのだが、この2人の間に性的なものを感じないというのは、致命的ではないだろうか。かといってコメディシーンが爆笑モノというわけでもなく……何とも中途半端な印象だった。

 

以上!次クールは何をみようかなあ。

めちゃイケの三中リストラ騒動に見る"渦の中"と"渦の外"

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正直、どうでもいいとは思っているし、『めちゃイケ』自体あまり好きではない。でも、この流れはやっぱり気持ち悪すぎて、FBやTwitterでこの話題が出てくる度に暗鬱な気分なってしまう。

 

番組を全てチェックしていたわけではないのだが、おそらく流れはこんな感じ。

 

■新メンバーオーディションにて"素人"の三ちゃんが合格。

■本人が芸人を志すようになり、コンビを組んで事務所に所属。

■色々と企画をやらされていたが、リタイアしたりしていた。

■"素人"じゃなくなったらなオーディションをやり直すべきでは?という意見が。

■視聴者投票をしてみたが、結果不合格に。

ナイナイ岡村が三ちゃんの態度の変化などを批判。

■次回の番組に出演するらしいということで、やらせじゃんと批判を受けている。

 

私には、すべてが気持ち悪く見える。そもそも彼が素人だろうが玄人だろうがどうでもいいと思うし(ギャラもらってんだから素人じゃないだろっていう気もするし)、三ちゃんの態度が悪くなろうが、心底ムカつくキャラに成り果てていようが、そんなことは視聴者に一切関係ないと思っている。

 

オリエンタルラジオが『しくじり先生』で話していたように、出演者の態度が問題になって切られたりすることは、普通にあるとは思う。しかし、それを「あいつの態度が悪くなったのでクビにします」と発表してやる番組など見たことがない。だから、ナイナイ岡村が「あいつは上から目線になっていた」などと話したところで、私には悪口を公に言っているようにしか聞こえないし、不愉快でしかない。それが全て三ちゃん復活へのシナリオだったとしても、やり方がゲスすぎて面白くもなんともないとしか思えず、やはり不愉快でしかない。

 

しかし、FBで知り合いが「岡村さんは三ちゃんのことを本当に考えているんだね!」みたいなコメントをしていて怖くなった。皆そういう風に感じていたりするのか?

 

私が見る限り、やはり今回の流れは"イジメ"の構造と同じだ。

 

Aという人間に課題を与え、「できない」と言ったことを糾弾する。ついでに能力が低いこと自体に対しても糾弾する(皆の前で)。そして、加害者自身ではなく、その様子を見ている取り巻き(この場合は視聴者)に、Aの資質を問う(自分では手を下さずに断罪する)。その後、Aの性格についても糾弾し、「いじめられる方が悪い」論を展開する。

 

完璧だ。完璧なイジメだ、実際に本人たちや番組内でどのようなやりとりがあるのかは知らないが(全て出来レースで実際は和気藹々としているのかもしれないが)、視聴者に見せられているものは、完璧なイジメ。実際はイジメが発生しているのに、外面は平和に取り繕っているならまだ分かるが(『なんでも鑑定団』とかね)、逆だからね。実際にイジメがあって、そのまま視聴者に見せているのか、実際はイジメなどないのに、イジメがあるように視聴者に見せているのか、そのどちらかでしかないからね。

 

異常……だと思うのは私だけなんだろうか?冒頭の記事にしても、「視聴者舐めてるってか、ただの詐欺じゃん」「何の為の投票やったんや!」といった反応をしている人の気持ちが分からない。そもそも、異常だから。この流れの全てが、異常だから。完璧なイジメを"面白いコンテンツ"として編集してOAするのも異常だし、それを見て実際に投票したり、ナイナイ岡村の発言に納得したり、復活に憤ったりすること(番組のストーリーに乗っていること)も私から見てみると、異常。怖い。

 

私は小さいころ引っ込み思案で、教室で全く存在感がなかった。からかわれたりイジメられたりすらしない存在。空気。クラスメイトの名前を順番に思い浮かべていったら、最後の3人くらいに入ってしまうようなキャラだった。だから、"クラスの中心"というものに敏感だった。クラスの中心にいるグループと、彼らの周りに渦を巻くように集まるグループ。その渦に入れない私たち。渦の中では、誰しもひどく鈍感になってしまうのが特徴だ。ドッヂボールで好きなメンバーを順番に選んでいくような、"はないちもんめ方式"のメンバー選定がいかに残酷か、とか、「では誰でもいいからペアを組んでください」という指示が出たときに渦の外側の人間がどんな気持ちでいるのか、とか、そういった気持ちを経験したことがないのだから当然なのだが、彼らは頻繁に鈍感さを発揮してくる。それも、全く悪気なく。

 

バラエティ番組を見ていると、常に"渦の中"にいた人たちの存在を強く感じることがある。出演者には"渦の外側組"がいそうに見えても、ほとんどのスタッフは"渦の中"にいたんじゃないかなあと思えてくる。『めちゃイケ』はその最たるもので、昔から私はその雰囲気が苦手だった。今回は、その"渦の中"の鈍感さが極端に発揮された事例に見える。この流れがイジメだということにすら気付いていないか、気付いてはいるけれど「面白い」と思っているか。

 

私にはどうしたって「面白い」なんて思えない。それはやはり私が"渦の外"の人間だからなのだろうか。

 

 

 

 

若者のことナメてない?『お義父さんと呼ばせて』にやっぱりモヤモヤする理由。

火曜22時からOAしているドラマ『お義父さんと呼ばせて』

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51歳のエリート商社マンの長女が連れてきた彼氏は、51歳のオジサンだった!?ということから巻き起こるコメディ。エリート商社マンである父親を渡部篤郎、51歳の彼氏を遠藤憲一が演じている。

 

2話で視聴率が落ちてしまったようだが、51歳の婚約者を演じる遠藤憲一をはじめ、出演者の演技レベルは高いし、オジサン2人のテンションの高いハジけっぷりも見ていて楽しいのだが、やはりなんかモヤモヤする……その理由が何となくわかった。

 

まず、1話。ラストで「何故結婚したいのか」を問われた遠藤憲一は「1人で生きてきたけれど、寂しいなあと思うようになった。誰かと一緒にいたいと思った」というようなことを感動的な口調で述べる。それに対して、遠藤憲一の恋人の父親(51歳)である渡部篤郎は「そんなことは皆30年前に分かってなきゃいけないことなんだよ!」と一笑に付す。

 

他の家族は「なんて分からずやの父親なの!?」という感じのリアクションをするのだが、結婚を申し込みに行った家で、「何故結婚したいのか」を問われたときに自分の感情の話だけされたら、キレるけどな。と私は思った。これが1モヤ。

 

そして、2話を見てモヤモヤが確信に変わった。2話では、ガードが固すぎる父親よりも、まずは兄弟を陥落しようということで、彼女の兄と妹を呼び出して会食をするシーンが出てくる。まずここで、「仕事が入った」といって遠藤憲一を置き去りにする長女にもビビったのだが、その後の会話から始まるシークエンスが非常にイヤだった。兄は「今の仕事は面白いわけではないが、いつかはやりたい仕事をやってみたいという気持ちもある」ということを述べる。そして妹は「恋愛や結婚の相手を条件で決めるのは当然」と言い放つ。(この会話は、ここで一旦終了する)

 

その後、長女の祖父に呼び出されてリフォームの打ち合わせに訪れた遠藤憲一は、弱点であるワインを飲まされてしまい、へべれけに。勢いで暴言を吐いてしまう。まず兄には「親父のコネで会社に入ったくせに、なにがやりたい仕事がしたいだ。世の中にやりたい仕事ができてるやつなんてほんのちょっとしかいないんだよ!」と言い放つ。妹には、「どうせお前なんて大したモデルでもないんだろ!?」と罵る。

 

ナシだわー。私はこのシーンを見て一気に冷めた。

 

コネ入社のやつが仕事の希望言っちゃいけないのか。「お前なんて大したモデルじゃない」なんて、いい大人が大学生にそんな完全な悪口言っていいのか。特にコネ部分については、私には全く意味が分からなかった。コネで入社した人間は、異動希望や転職希望しちゃいけないっていう法律でもあるの?縁故入社なんて、ルックスが良かったり頭が良かったりするのと同じ、武器のひとつだとしか私は思っていない(転職するときにコネクションがあると強いのと同じ)。働いていた会社もコネが多かったが、コネで優秀な人だって多かった。優秀な遺伝子の持ち主だったりするわけだし、当たり前のことだ。それなのに、なぜ「やりたい仕事がしたいなんてふざけるな」と言い放たれないといけないのか。

 

問題は、兄と妹は遠藤憲一に対して失礼な態度など全然とっていなかったということだ。内心どう思っていたのかはともかく、初対面のときもきちんとしていたし、会食の時も(長女が逃げたにも関わらず)ちゃんと会話をしていた。遠藤憲一に対して明らかに馬鹿にした態度をとっていたりしたのなら、まだ分からないでもないのだが、これでは一方的に罵られているだけだ。

 

更にイライラするのは、この遠藤憲一の発言が好意的に描かれている点だ。人の家で酔っぱらうことも、暴言を吐くことも、その暴言の内容も、全然擁護できないと私は思うのだが、ドラマの「気持ちいい!」という盛り上がりポイントになっていたことの意味が分からなかった。

 

私だったらこんな男との結婚、絶対に認めないけどな。今のところはそういう気持ちにしかならない。さて。3話はどう展開するのか。

 

 

第1話を見たドラマたちの感想を書いてみた。

さて。1月期のドラマが始まった。そんなに多くはないが、チェックした作品の1話の感想を書いていこうと思う。

 

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遠藤憲一渡部篤郎を堪能するためのドラマ。セリフが楽しいのと、2人のオジサンが愛おしいのでサクサク見られる。初回から2人の対決が始まってしまったので、このテンションをどう最後までもたせるのかが気になるが、次回も見たいと思わせる内容。主人公の一家は次女を除き顔面が似た系統なので、本当の家族に見えるところもリアリティがあって◎。

 

www.ytv.co.jp

荒唐無稽。しかも片瀬那奈竹中直人以外がズブの素人のような演技力という難点だらけのドラマではあるのだが、けっこう面白い。片瀬那奈がハマっているのと、無理がある部分にそれなりのエクスキューズが用意されているのとで、そこまで引っかからずに見ていられる。1話のことではないのだが、2話で最低ヒモ男に忍成修吾をキャスティングしたのも◎。最低男と言えば忍成修吾という鉄板ルールを踏襲してくれてありがとう。

 

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意欲作。英国の小説を原作に、物語の設定を日本に置き換えて、しかも連ドラにするという挑戦は評価したい。原作よりもテイストをミステリー調にしており、不気味な要素を大胆に足している。私は原作の大大大ファンなので、その変更自体には納得できない部分はあるものの、今後の展開に期待したい。原作は愛についての物語なので、そこに集約していってもらえたらと希望。

 

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原作の小説は全く読んでいないので、ドラマだけの感想になるが…けっこう酷い。主演の2人の前髪が長すぎる&窪田正孝の関西弁が不自然ということもマイナスポイントなのだが、なによりも物語も2/3が過ぎたところで出てきた人物が犯人という展開にズッコケた。それってミステリーではダメなヤツじゃないのか!?

 

www.fujitv.co.jp

ドラマ史に残る名作になる可能性を秘めている。少なくとも1話は傑作だった。丁寧な脚本に美しい映像。考え抜かれた構図。高良健吾の演技にややぎこちなさを感じた点を除いては、完璧だった。月9らしからぬ地味さではあるが、今期最も期待大。

 

www.tbs.co.jp

つまらなくはないのだが、香取慎吾上野樹里も感情移入しづらいくらいイヤなヤツなので、今後どう変化していくのかに期待。とりあえず、今の見所は上野樹里のファッションだけ。

 

tokai-tv.com

相当振り切れているんで、見たほうがいいですよ。旧牡丹と薔薇よりも、主演の2人の演技が壊滅的な分見応えがあるシロモノになっている点がポイント。とりあえず、出てくるキャラ全員頭がおかしい。

 

さ、2話はどうかな~。

ディーン五代なしで明日からどうやって生きていこう。

五代さんが死んでしまった。

 

無論、朝ドラ『あさが来た』の話だ。

 

いや、この日が訪れるのは分かっていたのだ。いつか来る彼の死。でも、いざ迎えてしまった「この日」を前に、私は途方に暮れている。明日からの『あさが来た』には五代さんがいないのだ(出てきても回想)。

 

断言してもいい。『あさが来た』を視聴している女性の9割がディーン・フジオカにトキめいていたはずだ。端正だが濃すぎない顔。身長も筋肉も「過剰ではないがしっかりとある」肉体。決して「ププッ」とはならない、時折出る流暢すぎる英語。さらに、世界を放浪していたときにスカウトされてモデル→役者デビュー。海外で活躍した後に結婚し双子のパパに。そして、満を持して日本でも活躍。という異色の経歴。しかも、バラエティに出ている彼はオモシロ発言もしっかりこなせるナイスガイときている。

 

完璧だ。完璧すぎる。

 

もう、キラキラしすぎて直視できない輝きを放つディーン・フジオカ。私だって、息子と夫の前でクールぶる努力はしていたものの、毎朝トキメキまくりだったわけだ。特に、ディーンと玉木の2人のシーンなんて、反射的に写メでキャプチャしようかと思うほどに興奮した。LOVEともちゃんしんちゃん。

 

こうなると、波留の凄さが身に染みてくる。あんなに素敵なともちゃんや、玉木至上最高の役を演じているしんちゃんの愛を一身に受けながらも全く嫉妬の念を起こさせない。「あさ」を完璧に演じ切っている証拠だ。なんせ、BSで直前に再放送している『どんど晴れ』の比嘉愛未なんて、相手役の内田朝陽が全っ然魅力的ではないにも関わらず、「なんでこんな女がモテるんだ」という怒りを買っているくらいなのに(私の)。

 

五代ロス。でも、仕方がない。前を向いて生きねば。私はこれからも『あさが来た』を毎朝の楽しみに生きていく。