時間がありすぎ日記

ガムシャラに働いた後、関西で主婦生活に突入。時間がありすぎて途方に暮れているので日々思ったあれこれを。

『聲の形』を読んで。

今さらながら、漫画『聲の形』を読んだ。

  

 

『聲の形』第1巻では、過酷ないじめが描かれている。

 

耳が聞こえない少女が転校してきたことで、いつものペースを乱された小学生たちは、軽い気持ちで彼女に嫌がらせをする。いじめは段々とエスカレートし、補聴器をいくつも壊して170万円の損害が生じるという結果が生じる。先生と傍観者である生徒たちは、首謀者の男児にいじめの責任を押し付ける。そして、少女は転校していく。

 

いじめの首謀者だった過去から逃れられない主人公は、中学校になっても孤立し続ける。そして、死のうとしたときに少女と再会する。

 

なかなかにヘビーな作品だった。1巻で描かれるいじめは首謀者の視点で描かれている。その心理的変遷は説得力があり、実際にいじめを体験したものにとっては読み続けるのにエネルギーが必要なレベルだ。高校生となった首謀者の少年と、耳の聞こえない少女とその家族、そして周囲の友人たちとの葛藤も興味深い。

 

『聲の形』は、いじめる側の罪を許さない。いじめに至った心理を細かく描写しているが、それによって生じた「いじめ」の責任を本人たちに問い続ける。そして、いじめられる側で会った少女のことも無条件に肯定しない。【耳が聞こえない】ということとは違う次元で彼女の生きる姿勢をも問う。容赦のない漫画だ。

 

過去のいじめとは無関係な登場人物の絡ませ方もうまい。「俺は親友」と言って首謀者少年に寄り添う見栄っ張りの少年は、常にフラットな視点を持つ。物語の終盤で皆が映画製作を始めるシーン。主人公の少年は「西宮(耳の聞こえない少女)も仲間に入れよう」と提案する。その意見は受け入れられるのだが、主人公は皆が「可哀想だから」仲間に入れてあげたと思っている。しかし、親友である少年は主人公に言う。「将也(主人公)の大切な人だから仲間に入れたいと思った」と。ここで、読者である我々はハッとする。彼にとって、西宮は【ろう者】ではなく【将也の想い人】なのだということを。西宮が【ろう者】であるというフィルターを外せないのは、誰よりも西宮を救いたがっている将也なのだ。

 

また、映画製作のくだりから参戦する元いじめられっ子である真柴も、西宮をめぐるいじめ事件とは無関係に存在する。彼は【いじめ被害者】という立場から物事を判断しているが、【いじめる側】の人物と触れ合うことで、その立場の曖昧さを知り、人間は変わることができるという可能性に希望を見出す。彼は西宮を【いじめられた過去を持つ人物】として認識しているが、彼女の障がいについては問題にしていない。

 

そして、西宮いじめに加担していた人物の中にも、障がい者】というフィルターを通さずに向き合おうとする人物が出てくる。植野という少女だ。将也に片想いしつづける植野は、かつて自分が西宮と将也に対して行った残酷な仕打ちについて葛藤し続けており、最終的に西宮に対して気持ちをぶつける。植野の言動は攻撃性に満ちているが、彼女は西宮を【障がい者】である前に【1人の人間】【恋敵】と見なしており、それに対して西宮は初めて自らの本心を明かすことになる。

 

これらの人物を配置することで、障がい者やいじめに対する視点が多重的に描かれている。特に、将也や西宮の家族といった【西宮を愛する者たち】がいかに彼女の障がいに囚われてしまっており、それがいかに西宮を苦しめているのかを浮かび上がらせている。将也や西宮の母親についても丁寧に描写されていて、子供だけの世界に終始させていないのも素晴らしい。

 

私が『聲の形』を読んでいて、1番ぞっとしたのはやはり川井だ。彼女は、いじめ事件についての記憶を完全に脳内で作り変えてしまっていて、自分は全く関係がなかったと思い込んでいる。それどころか、自分は障がい者である西宮に対して親切に接していたと信じている。結局彼女は、その上っ面の【良い子】然とした部分がクラスメートに気持ち悪がられている、ということを知り、思いのままに行動するようになる。怖ろしいのは、それでも彼女がいじめの当事者であったということには気づかないまま(であろう)ということだ。

 

障がい者の話題になると、たまに感じる違和感として、「もちろん誰でも差別意識はあるけれど、体裁が悪いから理解があるふりをしているんでしょう?」という前提で話す人が少なからずいるという点がある。本人は善意だとすら感じているその差別意識は、何を言われても覆ることはない。『本当はみんな可哀想だと思っている』と思い込んでいるからだ。私がなにを言おうと、彼らにとってそれは【キレイごと】でしかない。

 

『聲の形』は、いじめ問題だけではなく、そんな障がい者への意識をも問題にしている。【守る】【盾になる】という姿勢だけでは解決にならない。相手を【異質なもの】と認識することそれ自体が間違っているのだ。

 

本当は連ドラ化するといいと思うが、いじめ描写などハードルが高すぎるか……。