時間がありすぎ日記

ガムシャラに働いた後、関西で主婦生活に突入。時間がありすぎて途方に暮れているので日々思ったあれこれを。

映画『恋人たち』に思ったこと(ネタバレ注意)

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濃度の高い映画というのは存在する。しかし、これほどの濃度ってあり得るだろうか。暴力描写も大仰な音楽もない。わかりやすいカタルシスもない。それなのに、これほどまでのインパクトを与えるとは一体どういうことなんだ。

 

主人公は3人。ワークショップで選ばれたという素人俳優たちだ。妻を通り魔に殺されて鬱々とした日々を送るアツシ、自分に無関心な夫と気の合わない姑と暮らしている主婦の瞳子、ゲイのエリート弁護士四ノ宮。

 

アツシは一番キツイ状況にいる。彼は妻を失った喪失感や犯人への恨みから逃れられないし、精神的にも経済的にも厳しい日々を送っていて心の支えを見つけられずにいる。(※映画は彼の独白から始まるのだが、この<相手に届かないモノローグ>はこの主人公たち3人に共通して登場する仕掛けでもある。)しかし、そんなアツシの周囲は温かい。務めている会社の片腕の上司は彼を気にかけ、柔らかく受け止める。他の同僚たちも暗すぎるアツシをバカにしたり避けたりはしない。かといって、積極的に同情を示してくるわけでもない。途中で若手女子社員が声をかけたシーンなんかは印象的だ。あんなに優しく心を軽くするセリフ、どうやったら思いつくんだろう。そして、デリカシーのない人々に何を言われようが、アツシはキレかかったりしない。自分の中にしまいこむ。この映画に描かれている<妻を理不尽な方法で奪われた夫>を待っているのは狂気ではなく、「それでも人生に光を求めてもいいんだよ」という優しい眼差しだ。途中、目の前でイチャイチャする不細工なカップルをアツシが見つめているシーンがあるのだが、アツシがカップルを見て感じていたのは<過去への悔恨>や<イラつき>ではなく、『ああ、幸せそうだなあ』という気持ちだったという。私は少し驚き、そのシーンで上司がアツシに語りかける言葉を聞きながら、こう思った。この映画の根底には、人間は強く優しい存在なのだという信念がある、と。

 

対して、瞳子の置かれている状況はそれほど酷くない。ほぼ会話のない夫と定期的に行う性交(なぜか避妊している)。そして、表立ってぶつかるわけではないが、何となく馬が合わない姑との同居。かわりばえのしない退屈な生活だとは思うが、パート先の仲間とは楽しそうだし、趣味でイラストや小説を書く時間的な余裕もある。そんなある日、パート先で出会った取引先の男と色々あって不倫関係になり、結論から言うと騙されそうになる。駆け落ちしようとやってきた部屋で実はシャブ中だった男を前にして、瞳子は独白する。そして、また日常に戻った瞳子に対し、姑は料理を褒め、夫は避妊をやめようと言う。瞳子に関しては、衣裳が非常に象徴的だ。彼女はスカートしか履かないのだが、絶対にスカートだけは身に着けている。上半身を脱ぐ、下着を脱ぐ、パンストを脱ぐ、などスカート以外の着脱シーンは多いのに、スカートだけは脱がない。それは、彼女が年若き女性だった時代から抜け出せないことの象徴なのかもしれない。雅子様ご成婚の22年前から止まってしまった時間。まだ20代であったであろう彼女は、夫の避妊希望に盲目的に従ってきた。そして、独白によって夫との馴れ初めを吐き出したことで、自分の頭で考えることを拒否し続けてきたことを自覚した。改めて自らの意志で戻ってきた家庭において、夫からの避妊解除の要請を受け、ようやく瞳子の止まった時間は進みだす。年齢的にはもう子供は望めないかもしれないが、止まった時間が動き出した意味は大きいだろう。

 

ところで、瞳子のパートは楽しく笑えるシーンが多い。途中で出てくる詐欺師の女も、木野花演じる姑もけっこう面白い。途中、男に連れて行かれた養鶏場で、職員らしき若者が背後で語っていた台詞にも笑った。「食うだけ食って、やって、産むだけですから。バカしかいませんよホント」とか言っていて、「養鶏場なんだからそれでいいだろ(笑)」と心の中でツッコんだ。こういう、かなりテキトーな台詞なんかが密かに仕込まれているのも、この映画の楽しいところだ。実は笑えるシーンが数多くあるのだが、気づかずに全く笑えない人もいるだろうな、という控えめな感じがとても良い。また、「結局あれって何だったんだろう?」と思うようなシーンもあって、答えは提示されないまま終わったりするのだが、そんな程よい中途半端さも心地よかった。だって、生きるってそういう感じだもんな。

 

弁護士の四ノ宮はゲイの弁護士。職場では分からないがプライベートではカミングアウト済で若い恋人もいる。しかし、エリートで自己評価が高いタイプである四ノ宮はおそらく敵も多いらしく、何者かに階段から突き落とされてしまう。入院中の病院に見舞いに来た学生時代の親友家族。そこで四ノ宮がとった何気ない行動が、親友の妻の誤解を招いたことで、彼は親友一家に避けられるようになってしまう。四ノ宮の高圧的な態度に嫌気がさした恋人には逃げられ、密かにずっと思いを寄せていた親友にも避けられ、切られた携帯に向かって独白する四ノ宮。ずっと好きだったお前がイヤがることをするわけがないじゃないか…と。四ノ宮がアツシや瞳子と違うのは、彼が失ったのはプライベートだけという点だ。職場では何ら問題が生じていないので、社会的に危機に陥ったり転落しかけたわけではない。その代わり、彼のパートの描写は精神的にキツい。アツシが周囲の温かい眼差しに救われ、瞳子が周りと楽しげに会話をしているのに対し、四ノ宮は拒否され続ける。観ていてツラいのだが、しかしそれは「ゲイというだけで差別されて可哀想」という感情を抱かせるものではない。恋人に対する彼の態度は褒められたものではないし、あんな風に親友に対して明らかに好意がある様子を見せていたら、ゲイどうこう以前に妻が警戒し遠ざけようとするのも分からなくもない。四ノ宮が不幸なのは、ゲイであり<イヤな奴>であるが故に、気持ちを受け止めてもらえる人が身近にいないということであり、3人の中で彼が最も孤独である。感情的な女子アナの相談を受けているとき、親友のことを思い出して溢れかけた涙を「私の気持ちを分かってくれた」と勘違いした女子アナは歓喜し、四ノ宮に対し感謝する。それは、彼が攻撃やプライドの壁を用いずに他人と相対した初めての瞬間であり、その後に見せた彼の笑顔に私はホッとした。

 

この映画は、人生とは何かを描いた作品だ。そして、題材は不条理で暗くとも、根底に流れている視線は優しく明るい。彼らとともに人生を歩んだような感覚で、すっかり疲労してしまった私はヨロヨロと映画館を後にしたが、心の中は人生への賛歌で満ちていた。なによりも、こんな映画を生み出せる世界は素晴らしい。